GHQによる憲法制定|9条はどのように作られたか
日本国憲法は1947年5月3日に施行され、現在に至るまで一度も改正されていない。世界の主要民主主義国家の中で、制定以来一度も改正されていない憲法はきわめて珍しいとも言われている。この憲法の制定過程には、一般にはあまり知られていない事実が多く、それを知ることで憲法をめぐる今日の議論がより深く理解できるという見方もある。本稿では、日本国憲法—特に第9条—がどのようにして作られたかを中心に、その歴史的経緯を振り返る。
日本国憲法の制定過程|「民主主義の産物」という建前
日本国憲法の制定については、「帝国議会が審議・可決した正当な手続きの産物」という公式的な説明がなされることが多い。実際、1946年11月の帝国議会での可決という手続きは踏まれており、この事実は否定できない。
しかし、その「審議」が行われる以前の草案作成段階に何があったかを知ると、「民主的手続きによる憲法制定」という説明は、より複雑な様相を帯びて見えてくるとも言えよう。
わずか9日間で作られた草案
1946年2月3日、連合国軍最高司令官ダグラス・マッカーサーは、GHQ(連合国軍総司令部)民政局長のコートニー・ホイットニー准将に対し、憲法草案の作成を命じた。
驚くべきは、その期間である。民政局のスタッフ約25人が、わずか9日間(2月4日〜12日)で日本国憲法の原型となる草案を完成させたと記録されている。
この草案作成チームには、憲法学者や法律の専門家ばかりでなく、軍人・外交官なども含まれており、日本語の堪能なメンバーも限られていたとも言われている。憲法という国家の根本法典が、外国の占領軍スタッフによって短期間で英語で起草されたという事実は、「押しつけ憲法」論争の根幹に位置する問題だとも言えよう。
なぜGHQが草案を作ったのか
1946年2月初旬の時点で、日本政府(松本委員会)はすでに憲法改正案を準備していた。しかしGHQがこれを検討した結果、「大日本帝国憲法の本質的な修正に過ぎない」として拒否し、GHQ自身が草案を作成することを決定したとも伝えられている。
この経緯の背景には、マッカーサーの個人的な判断があったとも言われている。当時、極東委員会がGHQの憲法政策に介入しようとしており、ソ連も関与を求めていた。マッカーサーは、GHQ主導で憲法草案を作成し既成事実化することで、この介入を防ごうとしたという見方もある。
マッカーサーの意図|三原則とは何だったのか
マッカーサーがホイットニーに示した草案作成の基本方針は「マッカーサー三原則」と呼ばれている。
- 天皇の地位:天皇は国家の元首であり、その義務と権能は憲法に基づいて行使され、国民の基本的意思に応えるものとする
- 戦争の放棄:国家の主権的権利としての戦争を放棄する。日本は紛争解決のための手段としての戦争も、自己防衛のための戦争も放棄する
- 封建制度の廃止:封建制度を廃止し、貴族の権利は皇族を除き現存の者一代限りとする
特に注目されるのが第2原則、すなわち戦争放棄・交戦権否認の条項である。これがのちの第9条の原型となった。
第9条の起源についての諸説
第9条の発案者については、複数の説が存在している。
- マッカーサー発案説:マッカーサー自身の発案という説
- 幣原喜重郎首相発案説:当時の首相・幣原喜重郎がマッカーサーに「戦争放棄」を提案したという説。幣原自身の回顧録にはこの趣旨の記述があるとも言われている
- GHQ民政局スタッフ発案説:草案作成チームの独自のアイデアという説
いずれの説が正しいかは現在でも確定していない。ただ、これほど重要な条項の起源が判然としないこと自体が、憲法制定過程の不透明さを示しているとも言えよう。
「押しつけ憲法」論争|論点の整理
日本国憲法が「GHQによる押しつけ憲法だ」という主張は、自民党の結党時(1955年)から党是として掲げられてきた。この論点については、賛否両方の主張を整理することが有益かもしれない。
「押しつけ」とする主な根拠
- GHQが短期間で英語で草案を作成し、日本政府に事実上受け入れを迫った
- 占領下という状況では、日本側は実質的に拒否権を持っていなかった
- 草案の存在を国民には十分に知らされないまま審議が進んだ
- 日本語への翻訳に問題があり、元の英文と意味が異なる部分があるとも指摘される
「押しつけではない」とする主な根拠
- 帝国議会での審議・修正・可決という手続きは正式に行われた
- 審議の過程で日本側が修正を加えた部分も存在する(第9条2項の文言変更など)
- 当時の世論調査では新憲法への支持が高かったとも言われている
- 占領終了(1952年)後も日本政府・国民は改正を求めなかった
どちらの見方も一定の根拠を持っており、「押しつけかどうか」という問い自体が単純な二択では答えられない複雑さを持つとも言えよう。
占領下の「言論統制」という見落とされがちな文脈
「当時の国民が新憲法を支持していた」という主張の評価には、一つの重要な留保が必要だという見方もある。
占領期(1945〜1952年)のGHQは、「プレスコード」と呼ばれる報道規制を実施し、GHQの政策を批判する報道を禁止していた。新憲法制定の過程で、GHQ草案の問題点を公に批判することは事実上できなかったとも言われている。
こうした言論統制下での「国民的支持」をどう評価するかは、難しい問題である。少なくとも、当時の世論が完全に自由な情報環境のもとで形成されたとは言えないという点は、歴史的事実として押さえておく必要があるとも言えよう。
憲法改正議論の現在
日本国憲法の改正(特に第9条)をめぐる議論は、現在も活発に続いている。
改正を支持する立場からは、「自国の手で作った憲法でないこと」「現実の安全保障環境と条文の乖離」などが主な論拠として挙げられることが多い。
改正に反対する立場からは、「平和主義の理念を守ることの重要性」「改正の先にある危険性への懸念」などが主な論拠として挙げられることが多い。
どちらの立場が「正しい」かは、価値観や安全保障観によって異なる判断が成り立ちうるとも言えよう。重要なのは、その議論の前提として、憲法がどのように作られたかという歴史的事実を正確に理解することではないだろうか。
まとめ
日本国憲法—特に第9条—の制定過程は、わずか9日間での草案作成、マッカーサー三原則の存在、発案者をめぐる複数の説など、一般に知られていない事実を多く含んでいる。
「押しつけ憲法」か「民主的手続きの産物」かという二項対立的な問いは、制定過程の複雑さの前では単純に答えることができないとも言えよう。
大切なのは、この歴史的経緯を踏まえた上で、「日本国憲法とはどのような文書であり、現代の日本社会においてどのような役割を果たすべきか」を、国民自身が考え続けることかもしれない。
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